茶々の茶のみ話

茶々ののんびり日記です。どうでもいいようなことがつらつら~っと書いてあります。 お茶のみ話感覚で読んでいただけたら嬉しいです♪

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3月13日

私はこの日、震災後初めて泣いた。

それまでずっと泣くのを我慢していたわけではない。津波で大勢の人が犠牲になったのも知っている。胸が痛み、泣きたい気持ちは充分にあった。だけど涙が出て来なかったのだ。

それは窓から外を見た時のことだった。
重たい音をさせて、カーキ色のトラックの列が家の前を走ってゆく。自衛隊のトラックだ。
よく見ると、トラックの前と横に「災害派遣」と書いてある。三重県から来た部隊だった。
その文字を見た時、「ああ、ここは被災地なんだ。被災地になってしまったんだ」と初めて実感した。
その瞬間、涙がぶわっと溢れてきて、同時にいろんな感情が湧き上がってくる。
電気も水も止まってしまった。道路は歪み、電柱は傾き・・・つい2日前までは穏やかな時間が流れていた町が悲惨な姿に変わった。夜は全くの暗闇にのまれ・・・・そして何より、一家の長が東京で足止めを食らっている。
不安で不安で仕方がない。いつ電気はつくの?水は?食べ物は?そして原発はどうなっている・・・?

そういう心細さの中で、国内・海外から続々と救いの手が差し伸べられているのを知った時、それまで出てこなかった涙が一気に溢れ出たのは私だけではない。
それまで気丈に頑張ってきたみんなが同じことを口にした。
人の心の温かさ、人の手のありがたさがこんなに身にしみたことは、それまでなかったかも知れない。
大きな試練の中に放り出された私たちにとって、その存在がどんなに心強かったことか・・・!!と。


その日は早朝5時から水を求めて小学校に並んでいたので、すっかり冷え切って疲れてしまった。おまけに寒さのせいで腰痛もピークに達している。
妹たちの水の容器も一緒に持っていき、先に並んで順番を取っていたのだが、義弟と合流したのは1時間半後のこと。どうやら寝坊したらしい。かなりムカッときたけど、そこは我慢我慢。

私は原発の心配もあって子供たちを二人だけで家に残してきたのだが、もうすぐ水がもらえるあたりで大きな余震が来た。外で立っていても結構大きな揺れと感じるほどだったから、4か5弱くらいはあったと思う。携帯は相変わらず死んでいて連絡が取れないので、なにごともないのを祈る他ない。

やっと水をもらって帰宅した時、私はそれまでついたことのないような大きなため息をついた。

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3月12日 ②

この日の朝、新聞が来た。

薄っぺらい新聞。だけど精いっぱいの新聞。
電気が止まっている中、データを山形まで持っていって発行したそうだ。賞賛すべきジャーナリスト魂だと思う。

ラジオだけでは十分な情報が得られなかったから、新聞で記事を読み。初めて写真を見た時には激しい衝撃を受けた。こんな想像を絶する事態になっていたとは・・・!
だけどまだ涙は出ない。まだ自分たちが置かれた立場がよく飲みこめていなかったのか、それとも信じたくなかったのか。ただ、新聞を前に茫然とするだけ・・・。

横では子供たちが、DSの電池が切れそうだと騒いでいる。
幾度となく「母ちゃん、いつ電気来るのー?」と無邪気に訊いてきた。
(何をこの非常事態に呑気なことを!)と思ったけれど、地震や原発の不安に怯えて泣かれるよりはマシかと思い、「う~ん、4日後か5日後か・・・。電気屋さん頑張ってるから、応援してあげてよ」と適当にあしらっておく。
この原発不安は今後何日も続くわけだが、この子供らしさにかえって救われたと、今になって思う。


この日は日中とても暖かく、だいぶ過ごしやすいのが幸いだった。
夕方、水に不安を感じた私は、子供たちを連れて再び給水に並ぶことにした。

・・・が、ものすごい長蛇の列!!
今度は子供たちが通っている小学校に行ったのだが、広い校庭をぐるっと列が取り囲み、給水できるまで5~6時間はかかりそうな感じだったから、30分ほど並んで断念。翌日早朝にまた来ることにした。
普段は水道からじゃんじゃん使っている水だけど、この時ほど水のありがたみを感じたことはなかった。
人間て、贅沢でわがままな生き物だと、つくづく思う。


日が落ちると、暖かかった日中とは打って変わって、寒さが容赦なく襲ってくる。
灯油があまりないので、ストーブは調理と食事の時だけつけることにした。

家の中も、外の世界も全くの暗闇。
時折、道路を走る車のヘッドライトが一瞬だけ光を投じてくるのが、何よりの慰め。

私と子供たちだけが家にいるのを心配していた旦那は、通信が途絶える直前のメールで「不安があれば実家へ」と言っていた。私も本当ならそうしたかった。せめて夕飯くらいは大勢でとって、不安な気持ちを吹き飛ばしたかった。
でも実家には妹一家が既に来ていて一杯な状態で、地震後の混沌とした空間に私たち3人のいる場所はない。
妹の家は別に何も被害があったわけではなく、義弟もちゃんといたし、水道もここよりずっと早く復旧した。海からも相当遠いので津波の心配も皆無なのだが・・・・何が怖かったのか2週間も実家に居候していた。
父は昔からサバイバル向きであり、何でも一人でこなしてしまうから、別に人手が欲しかったわけでもない。
それどころか妹も義弟もすっかり「お客様」になってしまっていて、最後には父母ともに疲れ切っていた。

そんなわけでこの日も暗闇の中、親子3人で夕飯をとることになった。
前日、帰ってくるはずだった旦那のために作ろうと思って買っていた鶏鍋の材料をムダにしたくなかったから、なけなしの水で野菜を洗って美味しい鶏鍋をたっぷり作った。
みんなで食べたらもっと美味しかったのに・・・と思いながら、寒さの中でハフハフいいながら食べた。

この鶏鍋は翌日の夕飯まで登場する。

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