茶々の茶のみ話

茶々ののんびり日記です。どうでもいいようなことがつらつら~っと書いてあります。 お茶のみ話感覚で読んでいただけたら嬉しいです♪

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

3月11日(震災当日)①

その日は午後から、ビデオカメラで撮った子供たちの小さい頃のテープをDVDにダビングする作業をしていたから、テレビは外部入力になっていた。

午後2時46分。最初はいつもの地震(震災1か月程前から、地震が頻発していた。3月9日のお昼にも震度5弱の地震があった。東日本大震災の前震とみられる。)と変わらない揺れだったから、どうせすぐおさまるだろうと思って動かなかったのだが、揺れはおさまるどころか次第に激しくなっていく。そこでようやく、物が倒れてこない場所に移ろうと思った。
もし普通にテレビをつけていたなら全く違う行動をとっていただろう。
携帯電話にも緊急地震速報の機能はついていない。

しかし、こういう尋常じゃない事態が起きた時は人間の判断力も普通じゃなくなるもので、気が付いたら何も落ちてくるものがないはずのダイニングテーブルの下にもぐっていた。
そこから見える家の中の風景はまるで信じがたいもので、突っ張り棒で地震対策を施した食器棚以外は、ありとあらゆる家具が移動している。
落ちて壊れたら困るものをテーブルから出て支えようとした。
でも近くの加湿器を床に降ろすのが精いっぱい。あまりの激しい揺れに立っていられないのだから。

ふと、揺れが小さくなった。
いったい何が起きたのかよくわからないまま、飛び出した水槽の水でびしょ濡れになったズボンを取りかえに二階に上がろうとしたその時、さっきよりもさらに長く激しい揺れが!
再びもぐっても意味のないテーブルの下にもぐりこんだ。
もしかしたら、世界の終りが来たのかも知れないと思った・・・。

揺れがおさまるまで、ものすごく長い時間がかかったような気がする。
実際は5分くらい(普通の地震に比べたらとんでもなく長い時間だが)だったけれど、自分の感覚ではもっともっと長かった。
その間、心配してるに違いない旦那に無事メールを送り、ひたすら子供たちの無事を祈り続けた・・・。
あまりの恐怖に、涙は出ない。


ようやく地震がおさまり、学校からの連絡を待とうと思ったが、こういう時は回線が混んで連絡は遅れると思い、迎えに出ることに。
途中、うちの様子を見ようと道路に出てきた父と会い、実家の無事は確認。
近所に住む、長男の同級生のお母さんとも会ったので、一緒に小学校へ向かった。

外の景色は、今の地震がどれだけ凄まじかったかを物語っていた。
電柱は傾き、道路はあちこち割れている。
マンホールが20センチも飛び出し、電線は切れて垂れ下がっていた。
落ちた瓦屋根が散乱し、塀が割れている。
信号が死んでしまった県道は混乱しており、歩道橋も危なくて使えないため、県道を挟んで向かいの小学校へは「見守り隊」のおじさんたちが誘導してくれた。

その時、私はどうしようもなく具合が悪かった。
あまりのショックで急激に血圧が上がったのか、背中が激しく痛んで息が苦しかった。
もしかしたら、このまま死んでしまうのかと思ったほど・・・・。
それでも子供たちの顔を見るまでは気力で歩いた。

スポンサーサイト

別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<3月11日(震災当日)② | 茶々の茶のみ話 | 震災から5か月>>

この記事のコメント

∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 茶々の茶のみ話 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。