茶々の茶のみ話

茶々ののんびり日記です。どうでもいいようなことがつらつら~っと書いてあります。 お茶のみ話感覚で読んでいただけたら嬉しいです♪

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3月11日(震災当日)②

小学校では、校舎からめいっぱい離れた校庭の隅っこに、子供たちがクラスごとに座って迎えを待っていた。
普段から引き渡し訓練をしているので、それに従って6年生の長男から迎えに行く。

我が家の子供たちは特に怯えている様子はなく、ちょっと安心した。
でも低学年の子や、高学年でも女の子の中には泣いている子もいる。あれだけ揺さぶられたんだから当然だ。
長男の先生にお礼を言って、次は4年生の次男を迎えに行ったのだが・・・・・なぜか次男は半袖だった。
東北の3月はまだまだ寒い。震災後は雪が降ったくらいだから。
でも人一倍暑がりな次男は、教室では日常的に半袖になっていたらしい。
折しもインフルエンザが流行っていた時分。私の薄いジャンパーをひっかけただけの姿で家まで帰ったけれど、よく罹らなかったと思う。
もっとも、そんな時に罹られたらものすごく困るけども。


自宅に戻る前、実家へ立ち寄った。
築40年の自宅、もしかしたらどこか潰れていたりするかもと思っていたけれど、ダメージは築8年の我が家よりもむしろ少なかったようだ。
家を建てる時、基礎に大きな石をたくさん入れたと言っていたので、案外丈夫なのかも知れない。
それでも家の中には物が散乱していたし、まだまだ強い余震が続いていたため、庭にみんなで固まっていた。
父は車のエンジンをかけ、近所にも聞こえるくらいの大音量でラジオをかけていた。
そこで初めて、大津波警報が出されていることを知る。
この時点ではまだ携帯は生きていたので、妹や旦那、旦那の実家と連絡を取った。
旦那は東京の地下鉄の中で被災、最寄駅の有楽町まで電車が動いたので、とりあえず有楽町から歩いて東京駅へ向かうとのこと。
妹は勤務先のファミレスの厨房にいる時だったから心配したけれど、何とか怪我もなく無事だったようだ。

背中の痛みは相変わらず激しい。吐き気もしてきたけれど、この状況では病院にも行けないので、とにかく少しでも楽になるように呼吸を整える。
実家の庭には30分ほどいたが、自宅の様子も気になるので、子供たちに支えられながら帰宅した。


子供たちを迎えに出る時は気が動転していたので、家の中の様子を改めて見てショックを受けた。
下駄箱の上のクロスは波打ったように破け、収納していたものが落ちて散乱していた。重いウィンドーウォッシャー液も落ちていたので、地震の最中に玄関から逃げようとしたら頭に直撃していたかも知れない。
リビングではありとあらゆる家具が移動して、パソコンが落ちかかっていた。買ったばかりのものだったから、落ちなくて本当に良かったと安堵。
テレビは耐震マットのおかげで、食器棚は突っ張り棒のおかげで無事。食器は中で5~6個割れただけで済んだ。
キッチンやタンスの引き出しはことごとく引っ張り出され、まるで泥棒に入られた家のよう。
3月の日暮れは早いので、とにかく早く生活ができるようにしなければならない。
しかしその時、私の吐き気はピークに達していた。

そんな情けない私を見て、子供たちは洗面器を持ってきた。
「母ちゃん、俺たちが片付けるから、安心して吐いてていいからね。」
「俺たち、やるときゃやるよ!だって父ちゃんいない間、俺たちが父ちゃんの代わりだもん。任せてよ。」

・・・なんと頼もしい言葉だろう。
子供だ子供だと思っていたけれど、いつの間にかこんなに頼もしく成長していたなんて・・・!

私はその言葉に甘えて、少しの間洗面器と仲良くしていた。
子供たちはスリッパを履き、箒とちりとりとゴミ袋を持って、復旧作業に取りかかった。

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